岩屋寺と仁王像の歴史

岩屋寺と仁王像の歴史

1250年以上の歴史を持つ古刹と
失われた仁王像の物語

岩屋寺(いわやじ)は、奥出雲町仁多郡に位置する歴史ある寺院です。天平勝宝年間(749~757年)に、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した高僧・行基(668~749年)によって開かれたとされています。聖武天皇の勅願所でもあり、「出雲高野山別格本山岩屋寺」と称されるほど格式の高い寺院でした。

名前の由来となった岩屋寺周辺の「切開(きりあけ)」と呼ばれる小規模な峡谷は、国の天然記念物にも指定されており、独特の自然環境が寺院の神秘性を高めています。

  • 749~757年頃:行基によって開山されたとされる
  • 奈良~平安時代:鉄の産地である奥出雲の地域の拠点寺院として栄える
  • 1124年:毘沙門天像が制作される(現在ニューヨーク・メトロポリタン美術館蔵)
  • 14世紀:仁王像(阿形像・吽形像)制作
  • 1539年:慶派の仏師・康秀による四天王像制作(現在愛知県津島市浄蓮寺蔵)
  • 戦後:農地改革により寺院の経済基盤が弱体化
  • 1970年代:仁王像が岩屋寺から姿を消す
  • 1990年代:廃寺となり、土地が民間に売却される

たたら製鉄と岩屋寺

奥出雲は古くから「たたら製鉄」が盛んな地域で、良質な砂鉄と豊かな森林資源によって日本刀の原料となる玉鋼(たまはがね)を生産してきました。岩屋寺は、この製鉄技術の繁栄から利益を得た地域の支配者たちに守られてきた寺院でした。

鉄の産地であることは文化面にも影響し、岩屋寺には多くの優れた仏像が奉納されました。これらの仏像群は、奥出雲地域の文化的・経済的繁栄を物語る貴重な文化財でした。

奥出雲のたたら製鉄

たたら製鉄とは、日本古来の製鉄法で、砂鉄と木炭を使い、人力の鞴(ふいご)で送風して鉄を生産する技術です。特に奥出雲地域は良質な砂鉄が採れることで知られ、日本刀の原料となる玉鋼の一大産地として栄えました。この産業の繁栄が岩屋寺などの寺院の経済的基盤となり、多くの文化財が生み出される背景となりました。

仁王像について

かつて岩屋寺の仁王門に安置されていた仁王像は、14世紀に造られたとされる身の丈2メートル37センチの木像です。阿形(あぎょう)像と吽形(うんぎょう)像の一対で、参拝者が仁王門をくぐる際に邪気を払う役割を担っていました。

阿形像の後頭部内側にある墨書から、岩屋寺の仏像であることが確認されています。また、この墨書と岩屋寺の古文書から、運慶や快慶を生んだ「慶派」の仏師・康秀(こうしゅう)が像の修復を行っていたことも判明しています。

失われた仏像たち

岩屋寺の仁王像以外にも、多くの価値ある仏像が岩屋寺から失われ、国内外の美術館や寺院に収蔵されています。

四天王像

1539年に慶派の仏師・康秀によって制作された色鮮やかな四天王像は、現在愛知県津島市の浄蓮寺が所蔵しています。1979年に愛知県指定文化財となり、修補も少なく彫刻史上重要な価値を持つとされています。

毘沙門天像

制作年は平安時代の1124年とされる毘沙門天像は、現在アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。同館の公式サイトには「かつて中世日本の宗教の要地であった岩屋寺で崇拝されていた」との説明があります。

行基木像

岩屋寺の開祖である行基の木像も存在したとされていますが、現在の所在は不明となっています。かつてカナダ・モントリオール美術館に収蔵されているという噂もありましたが、確認の結果、事実ではありませんでした。

戦後の岩屋寺と仁王像の流出

かつては檀家も多く格式の高かった岩屋寺ですが、戦後の農地改革によって経済基盤が揺らぎ始めます。檀家であった小作農たちとの間に軋轢が生じ、寺院の運営が次第に困難になっていきました。

経済的に苦しくなった寺院は、所有していた山の木を切って売るなどして収入を得ていましたが、それも尽きてくると仏像などの文化財を売却するようになりました。仁王像は1970年代半ばに岩屋寺から姿を消したとされています。

その後、岩屋寺は廃寺となり、土地も手放されました。地域の人々にとっては岩屋寺と仁王像の存在は記憶の中に残されましたが、長らくその行方は不明でした。

アムステルダム国立美術館への道のり

岩屋寺から姿を消した仁王像は、京都の古美術商を経て、2004年にアムステルダム国立美術館のアジア館チーフキュレーター、メノー・フィツキ氏の目に留まりました。2メートルを超える堂々としたサイズと、日本美術の力強さを示す例として適していることから、2007年に同美術館が購入しました。

2008年にオランダに到着した仁王像は、美術館の改築工事のため5年間倉庫に保管されていましたが、2013年春の美術館リニューアルオープン後に展示が始まりました。同年10月13日には、京都大覚寺の僧侶20人を招いて開眼供養式が執り行われ、改めて像に魂が吹き込まれました。

現在、この仁王像はヨーロッパの美術館で唯一の本物の仁王像として、アムステルダム国立美術館アジア館の目玉展示となっています。多くの来館者を魅了し、日本文化を紹介する「文化大使」としての役割を果たしています。

  画像:Rijksstudio – Rijksmuseum

岩屋寺と仁王門の現在

長らく放置され荒廃していた岩屋寺でしたが、2023年、オランダ人彫刻家イェッケ・ファン・ローンさんの主導で進められてきた「仁王門プロジェクト」の一環として、岩屋寺の土地はイェッケさん及びオランダの財団法人に譲渡されました。

崩壊が進んでいた仁王門は2024年4月に解体され、京都建築専門学校の協力のもと、現在修復作業が進められています。2025年には再建された仁王門に、日蘭両国の市民約400人が共同制作した「ブルー仁王」が安置される予定です。

過去と未来をつなぐこの取り組みによって、かつて町の人々がタブー視していた岩屋寺の歴史が再評価され、地域の誇りとして再生されつつあります。

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